2017年10月30日月曜日

水と仲良くしなければ美しく泳げない1

2日間の美しいクロール・ワークショップが終わった。
遠いところから美しさを目指していらっしゃるお客様にお会いするたびに、その意欲的な姿勢に頭が下がる。

コーチ専用サイトのイベント実施履歴によると、最初の美しいクロール・ワークショップは2008年3月30日、スカイフィットで10名のお客様で実施した。今回のワークショップは18回目であり、17名のお客様が日夜美しいクロールの技術を磨いた。

10年近く続けていると、いろいろなお客様が来てくださるのでとても楽しい。最近のお客様は夜のセッションでも質問攻めというわけでもなく、また11:30で消灯となり強制終了してしまうので少し物足りない。午前2時半までクラスルームでガンガンやっていた(お客様はやらされていた)のは遠い昔である。あの頃は若かった。

過去のビデオを研究目的で見ているが、「新しいドリルの動きがすぐにできる人」と「できるまでに時間がかかりそうな人」はすぐにわかる。どちらも同じように脳がからだに対して新しい動きをさせようとするのだが、

  • できる人:意識してからだを動かすことができる。もし得たい結果が得られなかった場合(コーチにアドバイスされるなどして分かる)、意識を修正して動きも変えることができる。
  • できない人:意識はするがからだが思うように動いてくれない。得たい結果が得られない場合、意識を修正するが動きは変わらない。
という差がプールの上から見える。できない人の原因は3通りある。
  1. 脳がからだに対して指示する内容があいまいであるため、からだが脳の思うとおりに動いてくれない。
  2. スタート前は脳がやることを決めているが、いざスタートすると脳が忙しくなってからだに指示ができない。
  3. 脳は指示を出しているが、からだが忙しくて脳の言うことを聞けない。
どれに該当するかは、問い掛けて1回やってもらい、その結果を報告してもらうと確実にわかる。ワークショップはグループレッスンなのでその時間がなかなかとれないが、昔は3分プライベートレッスンを実施して、上記の原因を見極めながらアドバイスをしていた。

原因の1は、脳がやるべきことの全体像を把握して、現在どの部分に焦点を当てているのかを理解し、さらに動作や感覚(フィードバック)を「言語化」すれば解決する。1の人の特徴は「今何をしようとしていますか?」という問い掛けに対して「○○○」と即答できないことである。この場合できるだけコーチからの指示内容を自分の言葉で解釈してもらう。自分がコーチになったつもりで手足というお客様に対して説明するのである。このアプローチによってざっくり7、8割は解決する。

原因の2と3は、やりたいことよりも環境の変化に脳やからだが適応していない状態である。特に「不安定である」「息ができない」という水中での特性に対して慣れていない。
できる人は「不安定である」「息ができない」という事実を素直に受けとめ、そのうえでからだを動かそうとするが、できない人はこれらの事実を「変える」ことからスタートしようとする。
  • 不安定である→自分のからだを板みたいに硬くすれば安定するのでは、と筋肉を緊張させる→さらに不安定になる悪循環
  • 息ができない→口を膨らませて空気を貯め込む、息を止める→吐く時間が短くなり吸う量が減ってかえって苦しくなる悪循環
結局悪い方向に進んでしまい、脳が手足に命令できなくなる。
カンタン・レベルのお客様であれば半分ぐらいがこのタイプに属する。

それではどうすれば解決できるか。答えは「水と仲良くする」ことである。
次に水と仲良くするための方法についてまとめる。



2017年10月24日火曜日

TI創設者テリー・ラクリンとTIが支持された理由

2017年10月20日に伝説の人となったテリー・ラクリン。
彼の考案したトータル・イマージョンというメソッドがなぜ画期的で、多くのスイマーに受け入れられたかを考えてみる。

理由1:効率泳ぐ技術は大人になってからでも習得できることを証明した

上手な中年スイマーは、大方過去に水泳部に所属して泳いでいた人達である。大人になってから水泳を習った人とはすぐに見分けがつく。その違いを「技術」の観点で分析して、ドリルの形で習得可能にしたことが、テリーの最大の貢献である。

もっともこれは、彼自身の生い立ちが大きく影響している。最年少で大学の水泳部のコーチに就任したテリーは、速さを結果として常に求められる世界に居た。自分が遅いならあきらめもつくが、チーム全体のスイマー全員に対して責任を求められるのは大変なことであっただろう。

そのような世界がいやになって、彼は一旦水泳の世界から離れる。そして戻ってきたときには、競泳の世界ではなく成人向けの水泳指導という彼にとっても初めての世界に入ることになった。当時の成人向け水泳指導ビジネスはマスターズ、泳げない初心者と二分化されており、その中間、すなわち泳げるけど速く泳ごうとは思わない人達は相手にされていなかった。

再挑戦するにあたり、このような競争のないセグメントで教え方を考えるところがテリーらしいのである。そしてトライアスロンの勃興と共に、トータル・イマージョンのスイムキャンプは一部の狭い分野の人達に強烈に支援されるようになる。

自分で考えたメソッドなので、被験者が多いほどメソッドは最適化される。数年も経つうちにこれで食べていけるようになったところは凄い。そのあたりのエピソードはいろいろ教えてもらった。

理由2:水泳の世界に東洋的な味付けを加えた

「考えながら泳ぐ」という禅思想、「カイゼン」などの新しい概念など、テリーの思考には東洋的なアプローチ、特に日本人の考え方が深く影響している。

彼は玄米茶をたしなみ、漬物が好物(京都の百貨店では試食コーナーから引き剥がすのが大変であった)であり、日本的な発想や日本人の生産性、勤勉さなどに非常に興味を持っていた。

トータル・イマージョンが台頭した1990年代後半から2000年にかけては、米国における中国の影響は少なく、東洋といえば日本であり、日本の神秘的(言い換えれば不気味)な世界を水泳というめずらしい分野に取り入れることで、米国人の東洋に対する憧憬を満たすことになった。


理由3:自らカイゼンし続けた

コーチは教えることが仕事である。ところがテリーは教えるだけでなく、自らがレースに参加し、練習する過程で得られた経験により、カリキュラムを磨いてきた。まさに日本のカイゼンである。

練習のアプローチや意識するポイントが成果を伴わないものであっても、それを反省してさらにアプローチを変えて取り組む。その姿勢が多くのスイマーを感動させ、トータル・イマージョンのブランド価値を高めた。

ここまで自分をコミットしてメソッドを作り上げたコーチを私は知らない。一方テリーの後には、名前を挙げればきりがないくらい多くのコーチが同じ道を歩んでいる。テリーは自らをコミットする先駆者である。


理由4:一流のビジネスマンである

テリーはいつも、「私はコーチだからビジネスのことはよくわからない」と言っていた。しかし市場のセグメント、ブルーオーシャン市場の見極め、ブランド構築などの観点では、彼は非常に秀でている。

だからこそ文字通り「裸一貫」で、ここまでの世界を作り上げたのであろう。
今後トータル・イマージョンはどうなるのか。興味深い。

おまけ:「テリー・ラクリン」という呼び方

Laughlinはスコットランド由来であり、いくつかの呼び方がある。しかもいずれも日本人の発音にはない音であり、近似化する必要がある。
そこで私はいくつかの音を日本語読みで発音し、どれが一番フィットするか本人に判断してもらった。その結果「ラクリン」となった。これは本人が認める呼び方なのである。

2017年10月23日月曜日

テリーを偲ぶ

私の人生を変えた師、テリー・ラクリンが10月20日に永眠されました。66歳でした。

テリーへ

2004年5月、生徒として参加した最初で最後のワークショップ、そしてコーチ研修初日が終わりリラックスして泳いでいるときに、あなたはプールサイドに現れました。

ビデオテープではおなじみでしたが、恰幅の良いひげづらの中年白人男性はシアトルのプールにはうようよいるので、本当にあなたかはどうかは半信半疑でした。

しかしあなたがプールで泳ぎ始めた瞬間、あなたであることが確信できました。ビデオテープの中で優雅に泳いでいる人と同じだったのです!

緊張しながら、私は「初めまして。シンジです。日本でTIを教えたくてコーチ研修に参加しました。」とあなたに言いました。するとあなたは、「じゃ泳いでみて」と言いました。

緊張しながら泳いだのは生まれて初めてでした。できるだけなめらかに、リラックスして泳ぐように心がけました。1往復泳いだ後、あなたは、「上手だね。日本で教えていいよ!」といきなりOKするではありませんか!

私は日本での事業を承認してもらいたくて、コーチ研修中2回の会議の時間をとってもらい、これまでの市場調査の結果や事業プランをパワーポイントのスライドにすべく毎晩遅くまで準備していました。もちろんリハーサルも入念に行いました。

それなのに、往復泳いだだけで認めるとは!!しかも後日あなたの会社で正式に契約を結んだときにあなたは言いましたね。「日本人だから背広を着て、アタッシュケースに現金を入れてやってくると思っていたんだ。だけどTIが好きで、TIを熱心に研究して練習した人でなければ断るつもりだったんだ。シンジが一人であそこまで泳げるようになるのには、ドリルを随分練習しただろう。TIの良さがわかっていて、TIを広めたいという熱意を持っているからこそ、条件抜きにOKしたんだよ」

このとき私は、世界にTIが広まるように全力で手伝うと決心しました。そしてTIの社長になり、またYouTubeを通じて世界中の人にTIの良さを知ってもらうことができました。

テリー、あなたのおかげで私の人生は大きく変わりました。そのあなたが、66歳という若さでいなくなってしまったことはとても寂しく思います。しかしあなたが残したTIというメソッドは、レガシーとなって世界中の人達に受け継がれています。これまであなたが行ってきたこと、残してきたことに深く感謝するとともに、より良いものにすべくカイゼンに務めることを約束します。

Rest in Peace

シンジより